早いもので独立してかれこれ5年が経ちました。
税理士として独立したのは、公認会計士として初めて働き始めた時とのそれとは全然感覚が違いました。
「雇われる」のと「独自にやる」のを両方経験して、わたくしは最後は後者を選びました。
独立って、どうしようもなく不安なものですよね。
でも、ある発想が芽生えてから、踏み出せるようになりました。
まずは最初のきっかけを思い出してみたいと思います。
独立をしたばかり、しようかと思っている、悩んでウロウロしている、という状況の方に参考になるかわかりませんが。いや、たぶんならないかも。あ、なるかも。ウロウロ。
とにかく、記録してみまする。
※会計士の仕事に関する話もいくばくか含まれているので、会計士系に興味がおありの方には良くも悪くも取れる内容がございます。あしからず。
独立したきっかけ(僕の場合は)
独立を思い立つきっかけは、人それぞれです。
「もっと稼ぎたい、経験を活かしたい、新しいことにチャレンジしたい、今の職場の人間関係が嫌だ、今の仕事がきつい、時間から解放されたい、違う土地で移住したい」など
その人がそう強く思ったのなら、きっかけとしてはどれも間違いではないと思います。
私の場合は主に
① 公認会計士という仕事の天井を見た気がしたこと
② 物理的・精神的にとにかく自由になりたかったこと
の2点です。
①で漠然と独立を考え出して、②で脳みそスパークした感じです。
公認会計士という仕事の天井を見た気がしたこと
私の場合は、キャリアのルーツは税理士業界ではなくて公認会計士業界でした。
23歳から会計士のはしくれとして監査法人で雇ってもらって、トータル延べ10年ほど勤務しました。
公認会計士というのは、主に上場会社を相手に、「その決算書がだいたい大きく間違ってないかどうか」をチェックする仕事です。これを「監査」といいます。
この監査済の決算書は「大体あってるから、信じて使っていいよ」ということになり、世間の株主さんたちが安心して市場で株を買ったり売ったりする情報源として活用されることになります。
上場会社は、このチェックを受けないと株式市場で上場維持できません。
この「監査」という仕事こそ公認会計士の独占業務であり、世間的に存在意義があるでしょ、という大義名分です。
公認会計士試験に受かると、その監査をメイン業務とする「監査法人」にだいたい皆さん入ります。
監査法人は俗に「大手監査法人」という巨大組織が4つほどあるのですが(税理士法人のBig4とかと同じ)、私は都内の中小監査法人に入れてもらいました。
で、なんやかんや監査という仕事を約10年。
それこそ、国内の誰もが知る上場会社の監査や、その子会社、営業所、工場などの地方出張などを担当させてもらいました。
最初はそれはそれは驚きの連続で、地方都市や海外(シカゴや上海、香港など)にコストゼロで行けたりしたし、毎日が充実してました。地方の美食も味わえたし、海外はもうそれは色々アレでした。
また、出張は楽しい一方で、クライアントは多額の旅費や時間を犠牲にして監査対応をして下さるので、こちらもボケっとしてないで限られた時間で何かしらの結果を出す必要があり、そのおかげでとてもスキルや物怖じしない度胸がつきました。
特にシカゴ出張は成田発が午前10時→現地到着が午前10時という、まるで時が進んでいなかったかのような、スタンド能力にかけられたような錯覚に陥りながらほぼ寝ながら仕事してたのは良い思い出です。最初は電子辞書ヒーヒーいって調べながら。勘定科目が何だかわかんねーっていう。
(さっさとレポート出してメジャーリーグを観に行った)
ただ、この楽しいひとときは3年もすればだんだん考えが変わってきました。
この「3年」という期間は良くできているなあと思ったのですが、会計士試験に受かって就職しても、最後の試験となる「修了考査」が3年後にあるのです。
これに受かると正式に「公認会計士」と名乗れるわけなのですが(それまでは「準会員」といいます)、このタイミングで私のテンションは相反してだんだんと薄れていきました。
理由は2つあって、シンプルです。
ひとつは、飽きたから。そう、俺は飽きたのだ。
これはヒーヒーいいながら必死こいて3年監査をやると、感覚的に、だいたい業務が一周するんです。
簡単な勘定科目から、難しい科目まで。
①最初は簡単な財務系・・・現金預金、借入金、販管費など
↓
②主要科目・・・売上、売掛金、在庫など
↓
③見積もり系・・・引当金、税金・税効果会計など
という感じでステップアップしていきます。
これで、大体3年ぐらいで一周したりするんですが、この後はずっとぐるぐる同じ業務をする感じです。
なので、飽きる人は飽きるし、ハマるひとはハマる(残る?)感じです。
僕は何度か超絶飽きたのですが、なんだかんだ約10年やりました。
途中からは自分でテーマを決めて、独自にやりたい方法で勝手にやってたから続いたんだと思います。
2つめの理由は、業界の仕組みに嫌気が差したから。
この監査業務というのは、上述のように「決算書が大体正しいかどうか」をチェックするのが仕事で、問題無ければ「適正意見」(=この決算は合っている!)というお墨付きを書いたペライチの紙をドーンと発行します。
が、実務的には、どんなプロセスをたどろうが結果は同じで、いつでも「適正意見」を出すだけなんです。
決算書が全然デタラメで超絶ヤバイ内容(粉飾や不正など)があると、全否定する「不適正意見」というものが理論的にはあるのですが、実務でこれを見ることはまずありません。
※明らかなら話は違うのかも知れませんが、往々にして、こういう根の深い不正系は見つけにくいんです。あやふやになるというか。
これやると、上場廃止とかになるので。
クライアントも困るし、報酬もらってる監査法人も困るのです。
こういう「行き着くゴールがどのみち決まってる」という業界の仕組みが、モチベーションとして天井を見た気がした要因の一つです。
※ただ、その中のプロセスを工夫したり、違う視点でクライアントにコンサルみたいに貢献できるレベルまで行くと、また再び突き抜けて楽しくなることも知っています。でも、それも飽きた。
また、年々オリンパスや東芝などの事件が起きて、いわゆる「不適切会計」とかいう結局罪なのか何なのかわからん言葉が飛び交う度に監査制度が厳しくなり、会計士に求める役割が変化してきました。
もともとは「この決算書、だいたい合ってるよ」という話だったのに、いつの間にか「不正がないか徹底的に洗え!」みたいな感じになってきて、それを調べたことを証明する監査調書を社内でせっせと作る日々に、「何かあらぬ方向に変わってきたなあ」という気持ちになったことも要因です。
もともとはクライアントや外部の株主のために仕事しているのに、監査法人の中で「こちらはちゃんと仕事をしてるんです」みたいな書類を内々でわちゃわちゃ作成している状況に、「どこ見て仕事してんだろ?」と疑問を持ってしまったという感じです。
(監査法人は、3年に一回、ちゃんと監査をしているかを会計士協会から逆監査を受けるシステムがあります。これに指摘されないために、頑張るのです)
ただ、業界の仕組みに対して考えが至らなくなったという話であって、仕事自体はまぁ無くてはならないんだと思うし、監査自体の経験はできて本当に良かったと思っています。
決算書の数字の見方や、どの視点から見ればこういう予測が立つ、とか、分析力とか会計人としての不動の思考回路は鍛えられました。これは税務のクライアントに対しても大いに役立っています。
税務うんぬんのまえに、いま会社がどうなっているのか、を伝えるのは先んじて必要かと思いますので。
勤めた監査法人には、本当に感謝しています。
物理的・精神的に自由になりたかったこと
タイプの違い
上述の「会計士業界の天井がなんちゃら~」にやたら文面を使ってしまった。
というわけで、要は会計士業界に少し嫌気が差したのは間違いありません。
これが一つの要因にもなったし、どちらかというと、私の性格上「組織で雇われることが自分に合わない」ということが判明し、「自由になりてえ!」という内から秘めたる思いがスパークした→それに根拠もなく従った、というのが大まかな流れ・挙動です。
組織に所属しているからには、個人よりも全体が優先されるし、既成概念が横行します。
別に合わせること自体は無問題で出来たのですが、これが、なんか合わなかったというか、身軽でなかった。
もともと私はモノづくりや仕組みを作ることが好きで、若くしてバンドに生きていた時期は創作的な活動もしていました。
なので、既にできたものや「こうしろ」と指示をいただくと、どうしても「いやだよーん」と違うことを平気でしたりしてしまうのです。
(とはいえ、場を乱すような、そういう方向では全然ないです。別ルートを探したくなるだけです)
それにしても直属の上司は僕のことをよくマンツーで面倒見てくれたし、税務のあれこれまで親身に教えて頂いたので、ほんと感謝しています。
実は鼻くそほじりながら話聞いてた時もありました。本当にすいませんでした。
でも、合わないものは合わないというか、単純にやりたいことをやれる身軽な状態になりたいな、というある意味謎のリセット欲が発動した次第です。
こと仕事でいうと、人間は働き方に2タイプあると勝手に思っています。
① 組織に所属して、予め決められた・管理された環境下で力を発揮するタイプ
② 組織やルールのしがらみから解放されて独自に動いたほうが力を発揮するタイプ
結構ポジティブに表現しましたが、おおむねこの2タイプではなかろうか。
①は、サラリーマンで生きていった方がいいかも知れない。確かに、管理されたルールの中で力を発揮する人っていますから。自由になりすぎると、何していいか困るかもというタイプ。
②は、それはもう独立した方がお互いのためという感じでしょうか。独立する人は、遅かれ早かれ独立するんだろうなあ、という感じで。
働き方のタイプという点で考察しましたが、やっぱり私は②でした。
ちなみに、どちらが良い悪いはないです。タイプの違いでしかないと思います。
所属することの恐怖(収入源の偏り)
ここが最大の決め手になったっぽいんです。
独立を意識すると、おおむね
「仕事を取れるのだろうか?」
「今のスキルで通用するのだろうか?」
「収入がなくなったらどうしよう?」
ということを考えて恐怖します。僕自身、ごくたまに就寝時に「これからどうなるんだろうか」と終わりのない悩みが湧き出るときがあります。かつてはオエオエするときもありました。
スキルはもう、都度やるしかないんじゃないでしょうか?
独立して初めて出くわす仕事も多いですから。
特にリアルに困るのは「収入が無くなる」ことかと思います。
たしかに、全ては自分の力量やふるまい次第なので、現実は何とも言えないものはあります。
ただ、僕としてはむしろ「ひとつの組織に所属することのリスク」の方がはるかに恐怖でした。
要は、独立しにくい環境の最たる要因は「ひとつの場所からしか収入源が無い状態」であって、それが独立をとどまらせる理由だと思っているからです。
だって、複数の収入があったとしたら、けっこう独立しやすいのでは?
たぶん、スキルや経験というのは表のブレーキの話であって、この「今ある程度の安定した収入環境を何だかんだで手放せない」のが動きづらい要因なのではなかろうか、と。
僕の場合は最初、そういう風に思いました。
でも次第に、それは逆にいうと、一つの会社に依存して収入を得ている状態は、その会社に完全に身を任せているわけで、万が一倒産とかした場合に自分は無事でいられるのか?という不安を抱いていました。
しかも、今や終身雇用なんて無くなりつつありますから、「最後までここにいられる」なんて保証は全然ないのでは。
これは、私が盤石な大手ではなく中小監査法人に所属していたから出た発想なのかも知れません。
※事実、監査法人の代表から「どうなるかわからんから、いつでも動けるようにしとけ」と言われていたのも税理士登録を考えるささやかなきっかけにはなりました。
複数収入がある状態だと、通常、いきなり明日から収入がゼロになることはありません。
かたや、一つしか収入源がないと、それがポシャるといきなり明日からゼロになるわけです。
「なんだ、今の方が全然リスクあるじゃあねーかッ!」
と思ってからは、話が早かったです。
独立して、こと税理士であれば、顧問契約という先人が構築してくれた小口の複数収入源を作れるモデルがあります。
これはかなりアドバンテージです。ただ、甘んじているとヘタレるし、いつまで通用するモデルかは気を付けないとアレですが。
また、相続などの単発や、税務から外れたコンサルや資金調達など、ニーズがある単発系も作ることができ、収入の柱を増やすことができます。
さらには、個人のブランディングによって、税務と全然違うことと掛け合わせて仕事が生まれるような、まさに「自分から仕事が湧き出る状態」になっているスゴイ方もいます。
僕もそういうところに憧れがあります。
結局、会社というのは常に自社都合ですから、最後は個人の生活保障まではしてくれないし、だったら、最初はとてもしんどいけど、独立して身を守る体制を早めに作った方が、いいんじゃない?
と思うたわけであります。
※満員電車に毎朝揺られるのが嫌だったのも独立した理由の一つです。
「1日片道1hで~、月20日働いたとして~、年換算して24hで割ると、年間20日間まるまる電車の中かあ」
と思ったらもう全然ムリでした。結構人生犠牲にしてたんだなあ。
※満員電車のストレスは、戦場の最前線のストレスと同格であると何かの本で読みました
まとめ
このあたりが、私が独立を意識したきっかけでした。
業界の行き詰まり感はどうしようもないのですが、あとは中小組織に所属していたからこその独特のリスクを感じたことが、自分でやろうと決めた要因です。
また、形として独立して活動するにせよしないにせよ、今後は「精神的に独立する」というマインドは誰にとってもマストだと思っています。
場所に縛られない働き方など、これから劇的にかわってくると思うので、個人のブランディングや複数の収入源という形は、今後はスタンダードになってくるからと思うからです。
また、終身雇用の前提が無くなっていることもひとつです。
この辺は別の機会に思い立ったら記録してみたいと思います。
何か長文になるなあ。文章力ゼロで考えがまとまらないからなんだろうな。ヘタレだからなんだろうな。
それでは、ありがとうございました。